かける想いは本物か

こんにちは!

先日、アルゼンチンでプレーした事のある方とお話をする機会がありました。
その方が感じる日本でのサッカーの違和感は、メンタルと言うよりもそれよりもっと奥深くから出てくる念のようなものが、まだまだ足りないとおっしゃっていました。

私は海外でのプレー経験も指導経験もないので、肌で感じた訳ではありませんが、なんとなくは理解できました。

日本で何不自由なく育った人間と、アルゼンチンのスラム街で育った人間、そりゃあサッカーにかける想いも違うものになるでしょう。
後者は、常に追い詰められている、そんな感じなのではないでしょうか?

日本の環境で育ってきたらそんな風には普通育たないでしょう。
じゃあ、サッカーにかける想いをどうすればいいのか…?

自分自身で自分を追い込むしかないのかなと思っています。
(個人的には指導者がそれやるのは、押しつけになってしまうので違うかなと…)
要するに、自分で自分を追い込むことです。
HUNTER × HUNTERでいう、””制約と誓約
呪術廻戦でいう、”縛り”
ですね。
知っている人には伝わるかと思いますが、知らない人はすみません。

自分が不利になる条件を付けて自分を追い込み、実力以上のパワーを出すことが人間は可能です。
それをしろとは言わないけれど、それくらい本気で取り組んだ先に見えるものが何か分かりませんが、必ずあると私は信じています。

崖っぷちでも何事も楽しみたいですね。